atrie Waterblood
EternalLonging
~永遠の憧れ~
なんとなく友達に魚を釣りにいく・・・から始まって、
いつのまにか道具も揃って、自分好みの釣り日和には学校だろうと仕事だろうと、そわそわして集中できない。
自分が魚と出会った回数や次々とSNSで公開される見事な魚体を見てそわそわする。
今まで様々な道具を揃えて、試して、使い、魚に出会ってきたのは釣り人自身の歴史でもあります。
その歴史はどんな形であれ、釣りを続ける事によってこれからもつづられていく終わりのない歴史です。
以前、それによって人それぞれの個性、譲れない思い、
ひらたく言えば ”言葉” ができあがってくるのが本当の価値だと書いた覚えがあります。
そこには今も変わらない素晴らしい思いや、出会いもあると証明できてきました。
ではそんな一般人のプラグ馬鹿のゴタクはさておいてw
魚を釣りたいと、魚の顔を見たいと純粋に思える気持ちっていうのはなんなのか・・・・?
いつまでも終わらない永遠の憧れとは・・・・?
あんまり考えた事ない人も、ある程度の大きさの魚を釣って、もう満足。卒業~した人も、
ちょっとその世界に戻ってきてみると、魚の顔を見て「やっぱりいいな~」って思ってしまう、
釣り業界の人に至っても、誰もが共通するその”魅力”って何なのか・・・・?
どんなベテランでも魚の顔をみると、口にする言葉より先に感じている事があると思います。
一旦ラインにつながった魚は自分が捕食しようとした獲物との違いに命がけで抗います。
警戒心の塊のような魚でも自分のテリトリーを荒らすものは攻撃するでしょうし、
常に魚の心臓は獲物から得た養分から自分の血液を循環させて生命活動を維持する事に専念します。
遊びで他の小魚を傷つけたり、必要もない無駄な捕食も行いません。
大きなフィールドでモンスターと呼ばれるように大きく育った魚でも、
その巨体で生きてゆくために必要で最適な行動をとるもの。
一方 人間側はというと、金銭や自分の立場のために様々なものを利用したり、
最悪の場合騙したり、おとしいれたり。何かを槍玉にあげて同じたくさんの人間を利用したり・・・・
こういうと うつ病 直前か?と心配されそうですがw そこはご心配なく(笑)
人間がもっとも尊いと感じられるのは感情があること。
悲しい、嬉しい、楽しい、の”喜怒哀楽” それは語りだすと止まらなくなるので割愛しますが、
釣り上げた魚の眼を真剣に凝視してみると、
人間の奥底にある ”くもり”のようなものが感じられない・・・・。
様々な環境にさらされて、人間側から見ても不遇な環境に置かれていたとしても、
ただ純粋に生き抜く事を止めない命。
たかが”魚”、されど”魚”、
オフショアのモンスターでも、野池の小バスでも、山間の秘境のトラウト、
どんな魚を見てもその 眼 は変わりません。
(まなこ)
そこに「癒される~」とかw「ありがとね~」とか言葉を添えられるのは、
人間その人個人の価値であり、
生きる力まで与えてくれていることへの礼儀でもあると感じてきました。
その癒され具合も人によって様々なんでしょうが、
ハッキリとしないまま魚を釣って、
サイズや重さだけに囚われていると、
いつまでたっても釣行の後の寂しさに襲われる事は間違いありません。
(釣行後によくしゃべるようになる方がこの傾向が強いみたいw)
純粋に生きる事がどれだけ難しいことなのか
知っている人間だからこそ感じられる魚の魅力。
どんな形であれ、1対1で向き合えた魚にはその力が宿っています。
様々なハンドメイドプラグにも、見る角度によって表情があるように、
出会いの架け橋になる道具を作っていけている事にも感謝しています。
それも今まで出会ってきた魚のおかげですからね♪
2021 .2.20 nspluggers