atrie Waterblood
目にしているもの
Human in the Mirror : Human Effect !
太陽の光。 それを反射する水面、 緑あふれる山々、
親しい人間の笑顔、 青く透き通った空、太陽を隠した曇り空、水面下にきらめく小魚達。
言い出したらキリがありませんが、
我々人間が眼球を通して認識するものすべては眼球の構造上の”反射”で見えています。
可視光ともいいますが、ややこしくしたくないので割愛して、
シンプルに反射している”色”
それは色の専門家からは"色素波長"で認識、研究、表現されたりしています。
その”色”を認識するための”遺伝子”も人間には備わっています。当然ですよね。
ここはルアーフィッシングが前提となるHPですので、
例をあげると、
夏に良いと使われる赤いカラー(主にワーム)は”短波”
特徴は水中に沈んでいって太陽光がだんだん弱くなっていく中、
一番速く黒く見えるようになります。
逆に”長波”(学術的に細かくはかきませんw)とよべる代表的なものに、
”青”があがります。主にクランクベイトや、ブルーギルカラーにそえる”青”には、
ちゃんと意味があってのことなんですよね。
かなりの深度まで”青”と認識できるのは人間も魚も同じです。
その中間、”紫” は日焼けでもおなじみの紫外線という言葉が思い浮かびます。
色の系統で考えると少し特殊なイメージのする”緑”は、
淡水であれば寄り添うストラクチャーとして最も目にしやすい”ウィード”の色として、
魚から警戒心を解く意味合い。
海水であれば”青”が環境色として馴染む意味合いもあったりします。
こういった確定した定説というのは、便利なようで実は恐ろしいもので、
実に人間側に都合よく表現されていたりします。
例えば魚の立場にたった”痛み”の概念。(考えたことあります?w)
”魚の口に針が刺さる釣り” ”タイの生き造り” 「魚がかわいそう!」←動物保護団体様!?
「なにいってんだこいつ!? 魚は痛みなんか感じねぇよw」←魚食大好きっ子!?(笑)
2010年前後にドイツの学者さんが、
魚に針を刺して体内の神経に電気信号が走る事を学術的に証明。
ただしそれが「痛い!」とか「ぎゃぁああ!!」なのか、
「きもちいいいいいい!!!」とかいう感覚なのかは不明。(これはないのかなw)
魚に対して見識、信頼があるひと達に聞いてみても、
実際にある ”事実” や ”事象” は実はあいまいなところを漂います。
たいていハッキリする場合にはどこかの ”誰か”の立場 が確立される。それぐらいのこと。
「歴史は勝者が記すもの」なんてのは人間の生悪説そのものを表現してるみたいで・・・・(脱線w)
で。目に見える色、
実際に釣果を求めるプラグ製作にも存分に影響していますが、
果たして人間が認識できる色素遺伝子が魚と同じものなのか?
違うとするならば一体何が違うのか・・・・?
オークションやショップなどで ”n”sプラグ を昔から手にして頂いているみなさん。
よほどのチャートや極端なカラーでない限り、
必ずある特定のカラーが確実にボディに存在しているんです。
それは結果的に大正解でした。
その”カラー”は人間に見ずらくても魚には案外強い色なのかもしれません。
(オークションの画像では確認できないかもしれませんでしたね^^;)
過去作から比べればクオリティは違えど、釣れるプラグといわれるだけの”理”のひとつです。
学術的な見識が変わってきたとしても、
遺伝子レベルまで突き詰めた魚の研究結果が公に出てこなくても、
長い目でみてみれば自然と道具としての選別が、
既存のプラスチックプラグでも”淘汰”と言う形で現れていました。
ちょっと最近はそれもあいまいな形になってきているというのは、
プラグが純粋な”道具”として扱われない悲しい現実もからんできているんですが・・・^^;
真摯に魚と向き合いたいプラグ製作者としては
密かに。目立たないようにそういった要素も加えていかねばなりません。
(こういった事に時間を費やしていなければ製作数もグンと増えるんですけど・・・・w)
みなさんが目にしている動画サイトや様々なメディア。
果たして、あなたの純粋な”眼”にとって”濁り”を加えるものになっていませんか?
プラグのスイム動画もある時期まではうちもアップしていましたが、
そこに傾倒していってしまいそうで足踏み。
(顔出し出演解説なんて濁りそのもの。なんなら一緒に釣りいこーぜってなりますよw)
その点こういった文章、コラムなどは”変な色”がつかなくて本当に有用。
文字というもの自体に敬意を払えます。
”小説”に抱くイメージが人それぞれあるように、
釣りという趣味にだってひとそれぞれの”意味”があってほしいものです。
藁にもすがるような、小説、漫画、ラノベ等の実写化、アニメ化 なんかにクレームが噴出しても
生暖かい眼で見てあげられるようになってると、
いろいろな意味で精神的にも分かってる大人と言えるのではないでしょうか?