atrie Waterblood
Self responsibirity -自己責任ー
自転車をこいで近くの野池でやぶこぎして
誰も投げられないようなポイントにルアーを放り込む。
バスボートを引っ張って遠征して大きなフィールドの中にあるスイートスポットを探したり
フィーディングエリアにぶち当たるまで水面を走り回る。
得体の知れない流行り病が国中で蔓延している最中に
自分は大丈夫と人混みに身を投じて自分の欲求を満たす。
上司から任されたプロジェクトを自らのアイディアを加えて大胆な方向に進めていく。
クライアントからの要望に答えるために
自分が培ってきたスキルを十二分に発揮して仕事をこなす。
いろいろなスーパーの特売があるからと様々な食材を店舗ごとにより分けて車を走らせる。
いろいろ挙げようと思うとキリがありませんが、
命を持つ人間として様々な生き方、どれほどの人的、環境的な影響があるか分からない中、
”自己責任”という言葉が現すように、リスクというものが存在します。
たとえ引きこもりのニートさんであっても体を動かさない分、健康面にも間違いなく影響があるでしょう。
改めて考えるまでもなく、
今私達が住んでいる地球って太陽との絶妙な距離感で生き物が生息できる環境になっています。
私がなんにも知らない子供の頃は”保険”という制度が、
まるで失われた命や環境が、神様的なものにいつでも修復されるものだと勘違いしていましたが、
決してそんな事はありません。
ぼーっとしたまま生活していた幼少期から時間が経ち、学生、社会人へと歩を進めていけば、
どんな環境で生きていても時代の流れは目まぐるしくて、
たった一年の中の季節でさえも大きなズレを生じてきている事を感じずにはいられません。
本能として純粋に生きていく事について責任みたいなものを感じている人は
大切な人がいる人以外はあまり強く感じている人はいないのかもしれませんが、
ひとそれぞれの生き方が千差万別あるように
"人”の生き方には、諸行無常、自業自得、因果応報、”絆”をもともなう自己責任は必ず存在します。
人から聞いた言葉でお気に入りなのは、
人間が生まれたときから善か悪か? 「生善説と生悪説。」
自然を大前提にとって見れば地球を蝕んでいる人間は
完全に悪のウイルス(笑)であることは間違いないけれど、
精神的に見てみれば国ごと、各々が正義を唱えていたとしても、
人間はもともと ”弱い” 「生弱説」というものが有力と感じずにはいられません。
弱いがゆえに求めるものは”安全”、”安心”、”保証”、”保険”
そうした人間の性質から形成された人間社会。そこから逸脱して自然と戯れるルアーフィッシングなのに、
保証、安心を求めるのはお門違いもいいところ。
たとえ長い人生の中の一日を魚が釣れず無駄にすごしたとしたら、
完全に無駄だったと断定してしまうのもその釣り人自身の”業”
そのときの環境を”肌で感じておけた”と記憶に留めておけるのも釣り人自身の”業”です。
有力な情報や釣りに誘ってくれた人間の言葉はたしかに大切なものです。
けれども現代では誰でも「手軽に情報を集められる」というのは当たり前として
それ以上に”情報の選択”が重要になってしまっています。横文字で言うとネットリテラシーとかw
ホームページ、ブログ、動画、ツイッター、インスタ、サロン、様々に拡大してゆくネットだけでも、
間違ったとらえ方をしていると、安心と保証の幻影に包まれてしまいます。
あなたは釣りに出かける前から保険かけてませんか?
タックルや道具を揃えるときから?
ネット上の情報が心の支えになっていませんか?
ある程度の経験を重ねて、
「こんなもんだ」と釣りを「卒業」という言葉でくくり、
自分にとって都合のいい”安心”を得た人間を知っていますが、
悲しい事に次から次へと趣味を変えてゆき、自分の言葉を持たない
人間の形をした高性能な「メモリーカード」みたいになっていました。
そうなるのも”自己責任”といえばそうかもしれないし、
実際のところそれが大多数というのが正しいのかもしれません。
こんな文章を最後まで読んでいただいた方に感謝と祝福を。
楽しくない、わくわくしない、と感じることが ”あなたの行動”を起こさせないように、
誰も予想できなかった”嬉しい事件”があなたに降りかかりますように。
釣り場へ向うこと”も”自己責任で!
なにが起こるか想像できないこの世界を改めて楽しむのであれば
心の臓が激しく鼓動を打つ体験がお勧めです。(笑)
安心、安全、保証の上にのっかってる状態は一見 良い事のように思えるけど、
何かが腐っていってる感覚がどうしても消えないんですよね・・・・^^;